最近兄がスマホで、小津の「東京物語」を見ている。

つか東京物語がYoutubeに上がってるの?
それって違法動画じゃないのか? と思ったら小津の作品は著作権が切れており、普通に合法らしい。

父は映画好きで、確かに父も19世紀~20世紀始めあたりの映画黎明期の作品をYoutubeで見たりしたことはありますが、戦後の商業映画がもう著作権切れてて勝手にアップロードされてるんですね。。。
(ちなみに黒澤はまだらしい)

しかし高校生が、しかもスマホの小さい画面で小津見て楽しいか?
しかも10分見ては休み、30分見ては残りは明日、みたいに細切れに見ており、映画オタクとしては小津の歴史的傑作になんたる仕打ち許しがたい!と怒りに震えそうになってますw

ついに先日、兄のスマホを覗き込むとラスト近くのシーンを見ており、ついに見終わったようです。
なんというか感想を聞く勇気もありませんよ。笑

ちょうど父が覗き込んだのが、例の笠智衆と原節子のシーン。
「わたし、ずるいんです」という有名なシーンで、この台詞の後、原節子が泣く。

【この先、単なる映画マニアの映画語り注意】

実はこの涙の意味はいまもって解釈が別れており、何故泣くのか決定的な説は無い。
単に義父の優しさや亡き夫への追慕、運命の残酷さに泣いているという解釈が多い。

以前、確かある女性学の大学教授による、この涙の解釈を読んだことがあります。
(誰だったか忘れてしまった。。。)
個人的には一番しっくり来た解釈なのでここで紹介。

このシーンで笠智衆はまず

「なんにも気兼ねはないけえ。ええとこがあったら、いつでもお嫁にいっておくれ。 
もう昌二のこたァ忘れてもろうてええんじゃ。いつまでもあんたにそのままでおられると、かえってこっちが心苦しうなる」

と言う。
老夫婦の戦死した息子の未亡人が原節子。これはもう息子の事は忘れて再婚して欲しいという、いわば優しさからの台詞。

これに対して原節子が「わたし するいんです」と応じる。
だがその後泣く。

学者の解釈によると、これは「何故それを今になって言うのか」という意味だと。

「夫の嫁」という立場で夫の死語も「夫の家」に結び付こうとした自分を「ずるいんです」と表現した彼女だが、老義父はその目論見を端的に拒んでいる。彼女は「外」の人だから。

戦争が終わって8年が過ぎ、当然未亡人も8才歳を取った。
その間、当然のように彼女を縛っておいて、今になって嫁に行けという義父母の「嫁」への無神経と無関心。
この「嫁」なる立場の弱さ、それを当人達は「優しさ」のつもりでいるという「イエ制度」の残酷さに泣いたのだと。

いかにもフェミニズム批評という感じですが、これ小津の意図を大きく外してないと思う。

小津はその後も基本的には「家族」についての映画を撮っているし、しかもそれが壊れていく様子を描いている。
家という制度への懐疑があの涙には表れている、という視点は、小津の映画を見る上でけっこう重要な気がします。


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